ハノイリビングの田口です。
今、ベトナムでは飛ぶようにTOTOのウォシュレットが売れています。
この「お尻も洗ってあげれるんだよ」という「気付き文化」は、万国共通の鉄板の快適さなのでしょう。
一度使うと手放せなくなる、なんとも日本人が得意そうな商品です。
こちらベトナムのアパート仕様は面白く、部屋の数だけお手洗いを作るという傾向があります。
「2ベッドルーム2トイレ」は当たり前です。
3ベッドルームの各部屋にトイレとバスルームが着く、豪華仕様のアパートもあります。
詰まり、トイレの数だけウォシュレットが入って行くので、1所帯1つ以上の売上になるんですね。
間違い無く今ベトナムで「ヒット商品」の確固たる地位を築いていると思います。
私達の仕事は、お客様にお住まいを提供するサポート業です。
お客様が部屋を決めていただくと、オーナーがつけてくれていなければ、漏れなくTOTOさんに発注をする、この繰り返しを続けています。
日本のご利用者が、ベトナムハノイに来て、部屋にウォシュレットがなければ、
「まあ、ここはベトナムだから仕方がないか」
とは既にならない域まで来ているということ。
ただ、こちらはいろんな便器のメーカーがありますので、つけることができるかどうかの検証をTOTOさんにやっていただかないといけません。
その時お願いするのが、「さくら塗装」という会社さんです。
TOTOさんが日本から取り付け業者さんを連れてこられたんです。
今ベトナムハノイのウォシュレット取り付け、及びメンテナンスサービスに、「さくら塗装」さんが奔走されています。
先日、このさくら塗装の社長の宮城さんから、ひょんなご依頼をいただきました。
「沖縄県下の大学生がこの度短期インターンシップの一環でハノイに来ます。毎年2回、本土から離れて海に囲まれてた中で育つ大学生に、生きた先輩方のお話を聞かせる企画をしています。
田口さん、是非話をしていただけますか」
今まで何度とやり取りしてきた宮城さん。
そういえばお名前からして沖縄県人。
毎年、3月、9月に沖縄県商工労働部雇用政策課主催の「海外ジョブチャレンジ事業」の一環で、ハノイに沖縄の現役学生を呼ぶ際の「エリア担当」をされているとのこと。
宮城さん達は、沖縄県の地理的優位性を活かした、アジアと日本の架け橋となる「国際物流ハブ事業」、「アジアからの観光客の受け入れ窓口」を成功させる為、先ず県下にいる学生達を世界に触れさせる「海外ジョブチャレンジ事業」に取り組んでおられます。
毎年2回、ハノイで短期インターンシップを実施し、その中のプログラムとして、ハノイで働く日本人に経験談を話して貰う、そんな企画のようです。
6人の学生さんが、キリッとしたリクルートスーツに身を固め、少しこわばった顔をしてこちらを向いています。
場所はハノイリビング会議室。
今は大学生さんでも名刺を持っているんですね。
全員と名刺交換をさせていただきました。
なぜ私がベトナムのハノイで仕事をすることになったのか。
会社のご紹介を簡単に済ませ、学生さんの反応を見ます。
皆さん緊張しながら、メモを取っている。
メモなんて取らずに話にのめり込んで来て欲しい、そう感じましたが、さすがに止めることはできず。
私も最初に考えていた筋書きが頭から飛んでしまい、いつものように思いつくまま話すモードになっていました。
私がリクルート活動をしていた時の話。
なぜ住宅販売の道を選ぼうとしたのか、その理由と就職した会社での経験談。
最初はこの辺の話から始めました。
しかし頭によぎるのは、若気の至りで失敗して悔しい思いをした事ばかりです。
まあ、最初から順風満帆な新人などいるはずが無い。
失敗ばかりで落ち込んでいる時、気を使っていろんな方からの励ましの声も頂きます。
その時は気が付かないんです。
言われていることがどういうことか。
今になって思い出すと、じわーっとわかる、そんなアドバイスがずっと後になって効いてくる。
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私が一番最初に就職をした、不動産総合デベロッパー企業のとある地方支店。
赴任と同時に先ず最初にご挨拶をしたのは、当たり前ですが支店TOPの支店長さんでした。
我々が新卒で赴任した時、まさに支店の生死を決する大型案件の地主交渉の真っ最中でした。
これは後で聞いた話で、その時はそんな事情などつゆ知らず。
いつも目が澱んで、どす黒い顔色の支店長を見て、相当へたばっている方だなぁーと、会議のメモを取りながら思っていたものです。
あの当時、そこそこ良い場所にマンションを建てれば、ほぼ1ヶ月くらいで完売するという、まさにバブルの良い時期でした。
申込みが終了、抽選会も無事に終わり、お陰様で数戸を残してほぼ即日完売。
これが当時の地方支店では当たり前の光景でした。
しかし、そこに行き着くまでには、先ずそこそこ良い場所を持つ地主に事業を働きかけないといけません。
全幅の信頼を持って託していただける「良い関係」にならないと、1円も利益は生まれません。
最初から良い関係になれる事など、警戒している地主相手にまず不可能です。
何十年と守ってきた大切な土地です。上手いこと持っていかれるんじゃないかと猜疑心が湧くのも無理はありません。
そんな相手から玄関口で塩まで撒かれ・・・それでも諦めずに何度も誠意を見せ、説得に通う支店長。
「あなた方が今までずっと守ってこられた大切なこの土地に我々がマンションを建て、この地域に住むたくさんの市民の皆様に幸せになっていただく、そんな事業なんです。
是非力を貸してください。」
少しずつ支店長に賛同する地主さんが現れ、ようやく1筆の漏れなく地主全員の同意の下に「地番が1つになる」。
そういう不動産業の一番泥臭い仕事を、支店のTOPが身を削ってされていました。
私が赴任した支店での仕事は、そんな支店長の激務の暁に竣工した新築マンションの販売業務です。
販売開始と同時に、販売センターにはたくさんの来場者が押し寄せてきました。
そこそこ良い場所に建つ、価格の抑えられた新築分譲マンションです。
売れないはずがありません。
販売物件が目白押しでしたが、その全ては「即日完売」を繰り返していました。
我々支店のメンバー総出で接客やら住宅金融公庫の申込み手続きやらでドタバタしている間、支店長さんは即日完売に沸く新築マンションの地主さん達と連日の慰労会です。
長年の交渉が、結果を伴って実った瞬間。
胸襟を開いて心の底まで打ち解ける。不動産業者にとって一番胸を張れる、幸せな時です。
しかし支店長のお酒は、こんなストレスのない場面よりも、そこに行き着くまでの厳しい交渉時に飲むときの方が多かったと聞きます。
そして、連日の飲み会をほぼ毎日繰り返した結果、支店長さんは倒れてしまいます。
肝臓をやられ入院された時のこと。
支店の社員全員で見舞いに行った先の病院で見かけたのは、点滴筒をスタンドに引っかけ、そのスタンドを手に持ち、廊下を駆け足で走っている支店長でした。
「いやー、医者は静かにしておけって言うんだけどさ、少々の運動くらいどうってことないさー」
支店長の顔色がどす黒かったのは、地主さん達とのお食事、お酒で歓待する食生活からくる内蔵疾患が原因だったんです。
俺が倒れては、支店が倒れる・・・
そんな危機感から、回復に向けて気が付いたら走っていた・・・
見舞いを受けた後も、廊下を早足で歩く支店長の後ろ姿が、今も目に焼き付いています。
私が、この地方支店から大阪へ転勤が決まったとき、その地域で一番とされるスカイラウンジに連れて行っていただきました。
その時にお聞きした言葉。
「まあー、自分が一番良いと思うことをやりな。俺はそうして入院しちまっったけどさー(笑)
でも、皆優秀なスタッフばかりだからさ、俺がやることなんて酒でも何でも飲んで、皆に仕事を作ってくること、これしか俺の取り柄なんかないさ」
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この言葉は今でも頭に残っています。
しかし、その時は私も25歳そこそこ。この支店長の言葉の深さを実感できるだけの経験をしていなかったので、ピンと来ていなかったと思います。
でも今なら分かります。
「それしか取り柄が無い」
と支店長は言われますが、その「地上げ」が何より一番人間臭い魅力と忍耐と交渉術を必要とされる仕事です。
支店のスタッフが束になって掛かっていっても、高齢の地主さんの硬い心の殻をこじ開けることなどできません。
それが出来るから支店長になられている訳です。
その支店長さんの言葉は、次の言葉に置き換える事が出来ると思います。
「私には出来ないことがたくさんある。でも私にしか出来ないこともある。私にしか出来ないことで社会に貢献したい」
これは今の私の座右の銘です。
長い時間を掛けて、この言葉がしっくり来るようになってきました。
誰もが「私にしかできないこと」を持っていると思います。
しかし、最初は気が付きません。
学生の時には分からないかもしれませんが、社会人になって色んな種類の人達に揉まれながら、職種を変えず仕事を継続していく先に「私にしかできないこと」そ自覚できるようになって来る、そんなものです。
この支店長さんは、究極の「Generalist(ゼネラリスト)」だと思います。
いろんな分野にとんがった技能を持つ「Specialist(スペシャリスト)」なスタッフを束ね、暖かく包み込むようにマネジメントをし、自然とスタッフ達は力を発揮させられている。
1つの分野のスペシャリストになるだけでも大変なこと。
しかし組織として勝つためには、それぞれの尖った「スペシャルな技能」の頂点をつなぎ合わせて大きな弧となる組織を組閣運営できる「人格」が必要です。
尖り方の鋭い専門家スタッフほど、扱いにくいものかもしれません。
でも中途半端な実務経験者を束ねてできる弧の大きさは、やはり中途半端で売り上げも利益も小さい。
「自分にしかできないこと」が「究極のゼネラリスト」、詰まり究極のマネージャーだと胸を張って言える人は、どこで何をやっても成功しかありません。
こういう人になるには、何をしなければならないのでしょうか。
こういう人を目指すには、何が大切なのでしょうか。
ここまで学生さんの前で話をした私は、ふと言葉を切りました。
自分でも思いも寄らない方向に、話を進めてしまいました。
・・・分かるわけがありません。
今の私はとてもそういう人物からはほど遠い人間だと自覚しているからです。
しかし、今はそんな器ではないとしても、もし自分に「時間」を与えてくれるなら、もしまた学生時代に戻れるとするならば、何をするか。
この考えを話すしかありません。
会議室に掲げている大きなハノイマップを凝視しながら、少し考えてみました。
今まで私がすれ違ってきた数々のスーパーマネージャー。
会社を一身で支え、自分に着いてきてくれるスタッフに責任とチャンスを与え、達成させ、お給料を上げ・・・
気が付いたらそのスタッフを自身の右腕にしている。
そして次の右腕を育て始めている。
こういう離れ業をずっとやり続けている社長。
「俺は大きな組織で管理職をするのが一番性に合っているかもしれない」
そんなことをさらっと言える人。
・・・います、確かにいました。
思い出しました。
しかし、その社長さんが同時に資金繰りにのたうち回っていることも、その当時知っていました。
吹けば飛ぶようなIT企業でした。
私には歩合給割合が多く、故に厳しい不動産営業を離れ、6年間ほどIT企業のSE営業をしていた時期がありました。
出来たばかりの黎明期の会社、まさに立ち上げ時のスタッフとして仕事をさせていただいていたときです。
まだ新規顧客を発掘している時でした。
売り上げが安定せず、厳しい収益状況。
いよいよ私達のお給料が遅配にならざるを得ないところまで追い込まれた時、その社長さんは私達の給料を確保する為に、お子さんの学資保険を解約されたと・・・
経理のマネージャーからこっそり聞かされました。
経理マネージャーさんとすれば、
「お願い、頑張ってもっと売上作って、社長を楽にしてあげて・・・」
そういう意味を込めて、ハッパを掛けるつもりで、営業の我々にそっと漏らしてくれました。
社長にすれば絶対言って欲しくないことだったと思います。
その社長は日頃から私達の前では、
「俺は大したことできてへんけどな、でもこれだけは言えるで。今まで一度も給料支払いを遅らせたことはないで」
ニヤッと笑って酒の場で自慢をされていたのをよく覚えています。
どんな説経よりも、何より響いた社長の強がりでした。
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今まで私がお目にかかった上役の中でも異質の人でした。
今までの不動産営業と違い、全て自由にやらせてくれるからです。
とにかく売れれば良い。
何をやっても良い。
それは今までの不動産営業とは違い、ある意味快適でした。
しかし、もし売上が達成できなければ、パワーポイントを使って、全社員の前で「未達の原因分析」とそれを踏まえた「次月の施策」をプレゼンしなければなりません。
そういうルールでした。
この全社員の前でのプレゼンが、非常にキツかったことを覚えています。
社長は、
「お前らが売っているソフトを開発している技術スタッフ達、彼らを納得させてくれよ」
そういう言い方しかしません。
実際の話、営業の我々が売っていたソフトは・・・申し訳ないほどバグだらけでした。
しかしそのバグを開発に伝え、直ぐに検証させ、バグフィックスさせるのも営業の仕事、社長に言わせればこうなります。
お客様のネットワーク環境で、説明した通りの動きをしてくれればいくらでも売れる、そう思えるほどコンセプトは素晴らしい業務アプリケーションでした。
しかし、買って頂いたお客様のネットワーク環境で検証をしているような・・・そんな有り様でした。
こんな営業側の言い分と、必死で改善しようと会社に泊まり込んでチューニングを繰り返している開発側とのぎりぎりの攻防が日々ありました。
普通なら、愚痴の言い合いで会社の態をなしていないのが当たり前の状態かと思います。
こんなガラス模型のような力のないベンチャー企業を支えていたのは、まだまだ半人前の我々スタッフを、資金繰りに毎月末胃を痛めながらも我慢して使い続けていた、社長の忍耐力だったように思います。
「我慢して使ってくれている」
と言うことが分かるんですね。
なぜかと言いますと、私達が「やりたいと思うこと」など、その社長には既に「結果が見えている」んです。
しかし「やりたいならやってみたら」と任されます。
「自分がやった方が絶対に契約が取れる」、そう見えている時でも、全て営業に任せます。
そして予想通り失敗して売上を落とすと、分析改善プレゼンを全社員の前でやらされる。
社長自ら営業先に行って、自分がソフトのプレゼンをすれば、絶対契約に結びつくんです。
当たり前です、販売しているソフトの設計は社長がしているからです。
その場で商品説明をし、ちょっと意にそぐわない機能があれば、その場で設計して改良することを約束できるんですから。
売れない訳がありません。
当時、その社長は日本でも屈指のネットワーク設計技術者でしたので、出来ないわけがないんです。
しかし、それを絶対しない。
私はその当時は分かりませんでした。
しかし、今改めて思い返し、その社長が考えていたこと、そして行動に移したことを思い返すと、かすかに見えてくるものがあります。
この社長も、やはり「究極のゼネラリスト」だと思います。
先にご紹介した、私の新卒入社の不動産会社の地方支店長さん、そしてこのITベンチャー企業の社長さん。
どちらにも共通しているのは、
黙って社員に背中を見せている
そしてその行動の奥にある揺るがない考え方は、
会社が長く存続する為には、唯一スタッフが成長して強くなることが何よりの近道だ
この考えに徹しているということ。
一番辛い仕事をこなし土台を作り、その上で社員に存分に力を発揮して貰う
その「場所作り」を最優先にしている考え。
海千山千の地主との交渉然り、中小企業故の毎月の資金繰り然り。
「究極のゼネラリスト」とは「究極の教育者」だと、今から考えると思います。
しかしこのやり方が、果たして今の世界を舞台にしたビジネスの世界でスタンダードなのか。
日本人らしい考え方かもしれません。
「教育をし、育つのを待っていては競争に負けてしまう」
で、アメリカの一流企業がやっているのは、組織単位のマネージャークラスのヘッドハンティングです。
売り上げの上がらない組織のマネージャーの首をすげ替えると、途端に黒字になる。
会社のトップに近いDirectorほど、1年の大変はリクルートに費やしています。
一度だけアメリカの一流外資企業の面接を受けた際、担当していただいた日本人マネージャーから、詳しく社内事情を聞いた事があります。
「我々の扱う商品は世界一のシェアを何年もキープしています。後は専門知識を持った営業力のあるマネージャーを如何に引っ張ってくるかなんです」
こういう会社を流通していく人達は、既に完成した実力者だけです。
しかしそんな人材は、一朝一夕で出来上がるわけがありません。
先に私が学生さんに投げかけた、というより自分自身に問いかけた質問、
「こういう人になるには、何をしなければならないのでしょうか」
「こういう人を目指すには、何が大切なのでしょうか」
「究極のゼネラリスト」になる一番の近道は、
「究極のゼネラリスト」のもとで働き続け、その考え方を吸収すること
当たり前すぎて申し訳ないですが、この過程を踏まない限りなり得ない「極致」なのかもしれません。
一人で考えてやっていても、なれるものではありません。
学生時代に学校で勉強し、勉強した分野の職場で働き、多少の専門性を持ち合わせるようになってきたとします。
与えられた持ち場で頭角を表し始めると、社内で1番稼いでいる部門に回されます。
そこで更に実績を積み上げ、上司に「尖った能力」を認めて貰えると、どんどん仕事が増えてきます。
頼まれる仕事が増えるということは、チャンスも増えるという事。
組織全員でそれぞれの能力の頂点をつなぎ合わせた大きな弧の一端を担うマネージャーに抜擢して貰うところから、優秀なゼネラリストへの道がスタートします。
いろんな失敗を繰り返しても、自分の尖った能力だけは失敗を糧に更に磨きをかける。
その意識だけは絶対に持ち続ける。
こういう上役との打々発止の真剣勝負を経て、気が付けば「究極のゼネラリスト」の免許皆伝者となっている。
皆が皆、こんな流れではないかもしれませんが、少なくとも自分が社会で戦う1番頼りにする武器が何なのか。
経理財務能力か、数字を作る営業力か、ネットワーク技術力か、音楽美術といった芸術力か。
その自分の能力に出来るだけ早く気が付き、社内実務を通して育てていく。
会社は変わっても、使う武器を「取っ替え引っ替え」さえしなければいいんです。
この「武器磨き」だけで一生を終える人が大半なのかもしれません。
しかし、「究極のゼネラリスト」は、人には負けないレベルまで磨き上げた「武器」を持ち得た人だけが到達できる境地なんだろうと思います。
松下幸之助や本田宗一郎、それにビルゲイツ。
そうではないでしょうか。
そんな人格者のもとで、思い存分に仕事をする。
会社の規模は関係ありません。
「そういう人」は必ずあなた方の前に現れます。
「究極のゼネラリスト」には、必ずその人以上の「師」が必ずいます。
しかし、新入社員として会社に入っても、良い上司を選ぶことなどできません。
流れに逆らわず、最初は持ち場で精一杯やるしかないですね。
「今私達は大学生ですが、そういう人物になる為に、今からどんな準備をしておけばいいのでしょうか?」
最後の質疑応答の時間で、こんなご質問をいただきました。
学生時代は勉強よりスポーツばかりしていたので、「準備」など考えてしたことが無かった私には、ちょっと厳しい質問です。
ただ、思い返せば本だけは好きで読んでいました。
乱読ですが、自宅と大学の行き来が電車で片道90分ほどありましたので、その車中はずっと幸せな読書タイムでした。
「万巻の小説に触れてください」
今の私が言えることは、こんな回答くらいです。
しかし中高大と真面目に勉強などしませんでしたが、バレーボールと読書だけはやり続けました。
放課後のクラブが楽しみで、学校へ行ってました。
両親には申し訳なかったですが、特にお金のかかる大学では、勉強などほぼやった記憶がありません。
今から思えば、せめて英語でも習得しておけば良かったと後悔が先に立ちますが、後の祭りです。
しかしその結果、お陰様で厳しい社会人生活を泳ぎ切る体力と、若干の表現力は手に入れる事ができたかと思います。
先日、日経新聞に、「37歳、まだ若手」 又吉直樹さんに聞く人生100年時代
という特集記事がありました。
お笑い芸人の又吉さんが、小説家として「火花」で第153回芥川龍之介賞を受賞したのは皆さんもご存知だと思います。
この記事のなかで、インタビュアーとのこんなやりとりが紹介されていました。
「本を読まない友人がいて、1つのテーマについて鋭いことを言います。ただ、その意見は近代文学の中で何度も言及されてきたことで、その意見に対する反対意見もさらにその反論もでていて、すでに2つ3つ先に議論が進んでいるのです。彼が本を読んでいたら、その続きから考えられるのです。彼は賢い人ですが、もったいないですね」
本を読むことの意義を分かり易く説明してくれている、良いやり取りだと思いました。
仕事の内容に関係なく、「相手に自分を認めてもらう為の表現力」は必須技術だと思います。
私がやっていました住宅販売など、まさにその能力の大小が、そのまま成績に反映する職業でした。
一生で一番高価な買い物である「マイホーム」を提案する営業です。
それだけに、お客様は営業マンにこだわります。
教科書通りの説明しかしない、三井や積水の営業マンより、自分の経験則から家を語る中小工務店の営業マンが勝つ世界です。
営業マンは家を売らずに自分を売る
この自分営業を支える「表現力」をまだ学生の皆さんが今から磨くとしたならば、何が近道か。
ボランティアでも良い、アルバイトでも良い、サークル活動でも良い。
でもそこに感動が伴わないと、貴重な時間だけが過ぎ、何も残らないですね。
面接時に話す「やっていた実績作り」だけの目的でやるのであれば、意味がありません。
時間の無駄です。
死ぬまで消えない感動をどれだけ出来たか。
感受性の高い、ピュアな頭の時に。
日々の生活の中で、「血沸き立ち、心躍るような」感動の経験が出来た人は、何か大きな決断をする時にきっと役に立つと思います。
専門分野の学術書に目を通すことも、やりたい分野が見つかった時には大切です。
それよりもお勧めしたいのは、自分の大好きな作家の小説にのめり込み、感動を伴う疑似体験を繰り返すこと。
大学時代、大好きな司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読もうとした時のこと。
いきなり明治の話を読むのも良いけど、どうせだったら司馬遼太郎の1番古い時代の小説から順に読んでいかないと、何故か勿体無い気がして、遡って「義経」から現代に近づきながら、全集読みきりました。
色んな事をやりながらなので1年以上かかりましたが、今も忘れられない幸せな時間でした。
「菜の花の沖」にのめり込んでしまい、高田屋嘉兵衛記念館を見に淡路島まで渡ったり。
でも社会人になると、そんな時間の使い方は出来なくなります。
疑似でも体験したことを話す説明は、相手に分かり易く伝わるものです。
社会人になると、今まで気の合う仲間としかつるんでいなかった皆さんが、いきなり価値観も性格も年齢もまるっきり違う人と混ざり合って、「自分の考え方を伝える」ことが仕事となる生活が始まります。
専門分野など、学生時代の勉強で吸収するレベルって大したことはありません。
実社会でその分野の商品やサービスをお客様に勧めることで、一気に深く確かな専門知識が嫌でも付いていきます。
それよりも、皆さんには一日中自由に自分で決められる、羨ましい限りの黄金の時間が目の前にあります。
何に使うかは皆さん次第ですが、もし私が大学生に戻ることができたら、・・・
スポーツに当てる時間を少し削り、英語の勉強と深い読書を徹底的にやるかと思います。
こんなようなお話をさせていただきました。
今時の大学生さんにどこまで響いたのか・・・さっぱりわかりませんが、私の頭の整理にはなりました。
私が代表をさせていただいております「ハノイリビング」には、とても優秀なスタッフが7人います。
それぞれの得意な頂点を結んで、なるべく大きな弧を描き、更に拡げていく努力をこれからも続けていかなければなりません。
「社員が今まで出来なかったことを出来るようにしてあげる」
これ以外に弧を大きくする方法はなく、会社を強くする手立てはありません。
それが私の一番の必須業務です。
頑張りたいと思います。
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