ハノイリビングの田口です。
前回、ハノイリビングの「New Face」をご紹介しますで橘(たちばな)君のご紹介をさせていただきました。
今日はもう一人、Tinh(ティン)ちゃんの紹介を致します。
冒頭の写真、向かって左の女の子です。
新人という言い方はちょっと違うのですが・・・
入社は昨年の8月から、もうかれこれ8ヶ月働いてくれています。
皆様へのご紹介は初めてですので、一応新人さんと呼ばせていただきます。
しかし右側の橘(たちばな)君・・・嫌味なくらいスリムです。
学生時代サッカーに没頭し、社会人になってから柔術道場に通ってきたというスポーツマンです。
「ヒクソン・グレイシーにでもハマったんかい」
柔術と聞けばグレイシー兄弟しか知らない私の精一杯の嫌味です。
この体系の差に・・・妙に嫉妬を覚える今日この頃です。
橘(たちばな)君とTinh(ティン)ちゃんの間に隠れているつもりが、ちょびっとだけ顔が写っているのは、ハノイリビングのお母さん「マダムHuyen」さんです。
体に安全な野菜や果物は、いつも「マダムHuyen」さんにお願いすると買ってきてくれます。
特に私はトマトが大好きです。
季節になるとHuyenさんにお願いして、美味しいトマトを買ってもらっています。
中国大陸の横だというだけで食の安全が脅かされる昨今ですが、加えて儲け主義一辺倒のベトナム人農家が、薬で無理矢理甘くしたような妙な果物が混ざるハノイの市場。
長年ハノイで生活している主婦のHuyenさんに頼むのが一番確実です。
彼女は、
「どこで何を買えば安全か」
知り尽くしています。
当たり前です、小さなお子様を守らないといけませんから。
長年買い続けている行商のおばちゃんがいるんですね。
その人とは友達のような関係なので、絶対変なものは売りつけない訳です。
「安心な食べものはハノイに長く住む主婦に聞け」
これは鉄則です。
ちょびっとだけ写ってくれたマダムHuyenさんの豆情報をちょびっとだけお伝えしました。
さて、新人のTinh(ティン)ちゃんの話に戻します。
御年24歳の独身女性です。
「Tinh」という意味は「愛」です。
日本語で「愛ちゃん」といったところでしょうか。
大学を卒業して一番最初に勤める職場が当社ハノイリビングであることは、前回お知らせしました。
もうちょっと詳しく彼女のことをお話します。
Tinhちゃんとの初めての出会いは、私が日頃「食堂」として利用させていただいております鉄板焼き居酒屋「じぇじぇもん」でした。
皆さん「じぇじぇもん」と聞くと、
「ああ、女の子が横に付く、なんかいかがわしいお店でしょ」
ハノイに長く住む方々からたまに聞くイメージなのですが、それは間違いです。
真面目でかわいらしい学生さんが、真面目に横で給仕をしてくれるお店です。
何もしゃべらなくても、ニッコリ笑って座っているだけです。
お好み焼を横で焼いてくれたり、焼酎を作ってくれたり、甲斐甲斐しく働いてくれます。
普通の健全なレストランです。
この「じぇじぇもん」でTinhちゃんはお皿洗いのアルバイトをしていたんです。
Tinhちゃんの故郷はBac Giang(バクザン)です。
ご両親に学費を払ってもらい、大学に通わせてもらう代わりに、日々の生活費は自分で稼がないといけません。
これは地方からハノイに出てくる学生さんは大体同じ境遇のようで、皆さんアルバイトを必死で続けながら大学へ通います。
Tinhちゃんが大学へ通学し始めた頃、大学の寮に住んでいたのですが・・・
余りにやかましく、狭く、とても勉強できる環境ではなかったそうです。
一大決心した彼女は、狭いアパートに友達と移り、ルームシェアをしながら日本語の勉強に励みます。
その頃からアパートの近くにあった「じぇじぇもん」でアルバイトを始めます。
ただし、お客様の接客ではなく厨房でのお皿洗いの仕事でした。
控えめな彼女にとってお客様の前での接客など・・・
ライオンの檻に入れられるのと同じほど恐ろしいことのようです。
ある日店長の山中さんから、
「ちびちゃん、女の子の数が足りないから、接客してきて」
Tinhちゃんはじぇじぇもんでは「ちびちゃん」の愛称で通っていました。
身長150cm、一番背が低かったので自然についたニックネームです。
たまに欠勤する女の子が出ると、数合わせで「接客命令」が下ります。
しかし、そんなときでも頑なに固辞してきたTinhちゃんですが・・・
山中店長の指示には逆らえず、ある日を境に観念して、お客様の前に出るようになったそうです。
私がじぇじぇもんに通い出したのは2年ほど前からでしょうか。
その時から時々、私の横に「指さし会話帳」を握りしめたTinhちゃんが座ってくれるようになりました。
何を話したか、全然記憶にないのですが、今でもはっきりと覚えているのは、彼女の日本語の習得スピードです。
普通に日本語で会話ができます。
あまりに上手で綺麗な日本語なので、
「いつから勉強しているの」と聞くと、「1年半ほど前から」と・・・
「1年半でそんなに話せるようになったの!」
びっくりしました。
大学に通いながら、夜は日本語センターへダブルスクールしています。
これもハノイで日本語を学ぶ学生さんのよくある生活パターンです。
しかし彼女の場合、その質が違います。
「両親が大変な思いで作ってくれたお金で大学へ通わせてもらっている」
その思いが強いのでしょう。
日本語学習に対する集中力は半端なく凄いんだと思います。
完全に日本語を聞き取れる耳になっています。
そして言葉も流暢に出て来ます。
いろんな日本食レストランで働く「日本語を勉強中の女性スタッフ」を見てきましたが、1年半でTinhちゃんレベルに到達できた人は、そうそう居ないと思います。
日本語が話せることと、店では一番の「古株」になっていたことで自然、店長山中さんの「右腕」兼「通訳係」になります。
真面目なTinhちゃんはそつなく仕事をこなしますが、たまにサボる他のスタッフが出て来ます。
そのサボるスタッフの仕事も黙って片づけるTinhちゃんです。
「おいちび、お前は一番長くここで勤めているんだから、もうちょっと先輩風吹かしてもいいんだよ」
山中さんがたまりかねて注意をします。
その時は頭をかきながら「はいー」と返事しますが、結局先輩風吹かせられないので自分で片付けてしまうんです。
頭の中は日本語の勉強でいっぱいなのでしょう。
そんなTinhちゃんも大学を卒業する時が近づいて来ました。
ある日、山中さんから電話で、
「ちびのことなんですけど」
相談を受けました。
なんとなくその瞬間、彼が何を言おうとしているのか、分かった気がしたんです。
「ちびをたぐっちゃんとこで働かせてやってくれないですか」
山中さんの「じぇじぇもん」で大学1年生の時からずっと4年間、真面目に働いてきたTinhちゃんを誰よりも大切に思っていたのは当の山中さんです。
お客様の前での接客は上手くありませんでしたが、面倒臭い仕事を文句も言わず1番真面目にこなしてくれたのはTinhちゃんだったようです。
アルバイトの女の子の就職斡旋などしたことが無かった山中さんですが、唯一Tinhちゃんだけは、
「何とか日系企業で働かしてやりたい」
この一心で私に連絡をしてきたんだと思います。
会社に目を向けると、山のような契約書と目を血走らせて戦うエースHongちゃんと、最近残業勝ちになってきた主婦のHuyenさんの姿があります。
ネコの手も借りたい状況です。
本来なら社会人経験を積んだ「即戦力」の人材が欲しいところです。
しかしTinhちゃんの勉強熱心で真面目な性格を私はずっと店で見てきました。
彼女のモノを覚える集中力は、素晴らしい素質だと感じていました。
ハノイリビングでHongちゃんとHuyenさんと一緒に働く姿を想像してみても、私には違和感を感じることなく、しっくり来るんです。
私は採用する気持を固めていましたが、Hongちゃんに一度会わせて確かめさせる為に、面接に来てもらうことにしました。
Hongのフィーリングに合わないと、ハノイリビングでは仕事はできません。
結果は・・・今元気に仕事をしてくれています。
今まではずっとお客様のご案内は、私とセールスマネージャ-のHongとのコンビでやってきました。
しかし、彼女の仕事が段々増えていく傾向にあり、少しずつですがTinhちゃんと同行する機会が増えてきています。
相も変わらずいつも一生懸命なTinhちゃんです。
よく頑張ってくれています。
最初は郵便物の管理から、今では契約書の作成まで少しずつできる仕事の範囲を広げてくれています。
「花ちゃん」こと橘(たちばな)君と隣同士の席で、いつもお客様のリクエスト対応を相談する会話が聞こえて来ます。
最近は橘君とTinhちゃんのコンビで、お客様のチェックインやチェックアウトの手続きをこなせるようになってきました。
頼もしい限りです。
先にご紹介した写真は、Tinhちゃんとお客様のご案内の後、北海道ラーメン「大山」で味噌ラーメンを食べた時の写真です。
ここの味噌ラーメンは絶品です。
私:「Tinhちゃん、ラーメン食べれる?」
Tinh:「もちろん、私じぇじぇもんで働いていましたからー」
「じぇじぇもん」でラーメンなど食べたことが無かったので、結びつきませんでした。
ラーメンはラーメンの専門店で食べるべきです。
「じぇじぇもん」はラーメン専門店ではありません。
私:「Tinhちゃん、ラーメン美味しかった?」
Tinh:「はいー、凄く美味しい」
私:「じぇじぇもんのラーメンとどっちが美味しい?」
Tinh:「いえー、わかりません・・・」
今も山中師匠に義理立てを忘れないTinhちゃんです。
「じぇじぇもん」でのアルバイト収入より、もちろんハノイリビングのお給料の方が格段に額が増えたのは言うまでもありません。
先ほどTinhちゃんはBac Giang(バクザン)からハノイの大学で勉強する為に出てきたとご紹介しました。
私達日本人でも大学の学費は高いと感じるんですから、ベトナム人にとって子供を大学へ学ばせる学費は私達以上にきついはずです。
私:「Tinhちゃんの学費高かったでしょ、お父さんとお母さんが出してくれたの」
Tinh:「はいー、銀行から借りて出してくれた」
私:「ええ!銀行から?金利高いんじゃないの」
Tinh:「いえー、国が安い金利で貸してくれる。0.1%以下で」
私:「そういう制度があるんだね・・・」
Tinh:「はいー、みんな借りる。金利安いから。」
私:「日本でも同じ制度があるよ。奨学金っていうんだよ」
Tinh:「ええ?日本人は自分で全部払えるんじゃないの?」
私:「払える人もいるし、払えない人もいるよ」
Tinh:「ふーん・・・」
私:「借りた学費はいつまでに返せば良いの?」
Tinh:「卒業して4年間で返さないといけない」
私:「あーそう!ちょっときつくない? でもTinhちゃんは大丈夫だね」
Tinh:「はいー、有り難うございます!」
私:「毎月どれくらいお父さんとお母さんにお金返しているの?」
Tinh:「お給料の半分です」
私:「凄いね・・・でもTinhちゃんみたいに仕事見つかった人は良いけど、卒業して就職できない人達はどうして親にお金返すんだろう?」
Tinh:「返せないです・・・4年経って返せない人でも、国は少しは待ってくれる。その間に親戚の人達からお金借りて、何とかして返します」
大学を卒業しても、まともに職に就けない若者達をよく見かけます。
期限以内に返せない人の方が多いのではないかと思います。
卒業しても就職できず、レストランなどでアルバイトをしている若者の親のスネは・・・日本以上にペラペラになっているということです。
しかし平均年齢が27歳のベトナムはまさに若者が闊歩する国。
その若者の教育が国の生命線になることくらいベトナム政府も分かっていますから、大学の就学率アップに繋がる制度を充実させようとしているんだと思います。
ベトナム人で一生懸命勉強して頑張っている若者との会話は、ベトナムのことを知る上で本当に参考になります。
Tinhちゃんも私にとっては貴重な「ベトナムの先生」です。
この前、Tinhちゃんから質問されました。
「田口さんはいつまでベトナムで働く予定ですか」
おい、お客さんみたいな質問をするな!
しかし真剣な表情だったので、
「どうしてそんなこと聞くの?」
と尋ねると、
「いえー・・・」
私には80歳になる両親がいます。
お陰様でいまだ元気に日本で生活をしてくれています。
その両親のスネも大概ペラペラですので、罪滅ぼしも兼ねて側にいて話相手になってあげたいと考えている、というような話をしたとき、
「はあー、そうなんですね・・・」
その時は分からなかったのですが、彼女は私がハノイにいる間は、ハノイリビングで仕事を続けられると考えていて、その間は学費を親に返せると思っているんですね。
私が居なくなったらハノイリビングはどうなるんだろう・・・と少し心配になっていたのでしょうか。
1年や2年くらいでは、Tinhちゃんのお給料をもってしても借りた学費は全額返せない訳ですから、彼女にとって長く勤めることが絶対条件なんです。
Tinhちゃん、大丈夫ですよ。
君がお腹いっぱいになるくらい仕事をしていただけるように頑張ります。
ついてきてください。
以上、小さい「ちびちゃん」ですが「ひたむきさ」たっぷりのTinhちゃんのご紹介でした。
「花ちゃん」こと橘(たちばな)君共々、よろしくお願いします。
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