年老いた親を日本に残して単身赴任するということ、続編

おかんと最後に行った「護国神社」の桜の下で

おかんと最後に行った「護国神社」の桜の下で



ハノイリビングの田口です。

昨年の2月、同タイトルの記事を書きました。
親父を亡くしたときです。

「年老いた親を日本に残して単身赴任するということ」

それはテト休みに入った初日でした。
自分の「死に目」に子供を立ち会わせる配慮など、かけらもない・・・
親父の鮮やかなほど、あっけない最後を書かせていただきました。

その時は忙しさにかまけて2ヶ月間、ブログが書けずにイライラしていました。
久方ぶりの投稿が、親父の「死に目」に会えなかったお話をお伝えすることに・・・
誠に申し訳なかったのですが、実は今回も同じパターンになってしまいます。

先月7月18日朝の7時13分、私の母は逝きました。
享年82歳、穏やかな旅立ちでした。
奇跡的に母の「死に目」に会えた、その経緯をお話します。

今回も久方ぶりの投稿にもかかわらず、内容がまた「親の死について」になります。
どうか悪しからず。

いつもながら日本にいる嫁からは、余程のことが無い限り、直接電話が入ることはありません。
時々LINEで、

「お忙しいですか、なぁーんにも連絡くれませんが?」

切れ気味のメッセージに、何事も無かったかのように電話をかけ、謝り気味に嫁の愚痴を聞く。
こんな日常に、突然嫁からの国際電話が入る・・・
普通の話である訳がありません。

「お母さんが足の骨を折ったんよ・・・」

嫁からの連絡に、思わず天を仰ぎました。

親父が亡くなってから、ぽっかり穴があいたのか、母の痴呆が日増しに進んでいました。
一人で車通りを横切って新聞屋にお金を払いに行こうとしたり、バルコニーまで伸びてきた木の枝を、乗り出してハサミで切ろうとしたり・・・
足腰が達者なだけに、無理をする母が心配でなりませんでした。

「これで足腰がダメになれば、一気に老いと痴呆が進んでしまう」

そう確信していただけに、母が転んで足の大腿骨を折ったと聞いた瞬間、これから始まる介護の大変さを想像し、気が遠くなりました。
私はベトナムにいるので、結局今まで以上に嫁に負担を強いることになります。
急遽、母が足の骨をプレートで接合する手術をする日に合わせてチケットをとり、日本へ緊急帰国しました。

おかんと行った嫁さんお勧めの和歌山のお店

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以前の稿でも書きましたが、高齢の親を残して海外赴任するということは、

「親の死に目にはまず会えない」

そう腹を括っていた方がいい、そう自分に言い聞かせていました。
しかし両親揃って最期に付き添ってやれないなんて、余りに不甲斐なく、情けなく、到底受け入れられるものではありません。
なぜ情けなくなるのか。
それは、

「50を超えた今でも、仕事をコントロールできず、大切な母の側にいてやる余裕がない」

からです。

80を超えた年寄りが、急に容態が悪くなったとき・・・
じっくりと話ができる状態のまま、子供の帰りを待ってくれることなど、そんな虫の良い話はないんです。

きっかけはともあれ、お陰で母の「死に目」に会える幸運を掴むことができました。
その時はそれが「幸運」になるなど、夢にも思っていませんでしたが。
結果的に、母の骨折が「最後の親子の語らい」の時間を作ってくれたことになります。

しかし、足の骨折から一転して、なぜ母が命を落とすハメになったのか。
それはなんと母が骨折前、体調不良で町医者から処方された蕁麻疹対策の薬によるアレルギー疾患が原因でした。

薬に対して免疫機能が過剰に反応しておこる、100万人に3人の確率で発症する難病、「スティーブンス・ジョンソン症候群」。
この聞いたことも無い厄介な病魔に、母の命は持って行かれました。

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足の手術は無事成功しましたが、困ったことが起きました。
数週間前から飲んでいた、体の蕁麻疹に対応した薬が母に会わないのか、全身に妙な発疹が広がっていました。
痒さで全身をかきむしる母。
口が腫れ上がり、水を飲むのも痛むのか、辛そうでした。
見ていられず、何度も背中や足をさすってやりました。

しかしそれも徐々に回復し始め、少しずつ食欲も出てきていました。
ご飯を食べさせてやり、自分で水をこぼさず飲めるようになったのを見届け、病院を後にしたのが7月14日金曜日の夜。
母のおでこをさすりながら、

「明日また来るからな」

ニッコリほほえんで頷く母。
しかし、これが母との最後の会話になりました。

元々私は体調不良で、緊急帰国する直前、SOSの野田先生に診てもらい、薬を飲み始めていました。
原因は歯痛から来る副鼻腔の鈍痛・・・なんとなくそうでは無いかなと考え始めていた頃でした。

左上の歯を中心に顔全体が痛み、これを止めることは出来ない状態。
母の病院から戻った翌日、歯医者で抜歯しましたが、顔の鈍痛は未だ残っています。

もう我慢が出来ず、歯医者を出た後直ぐ、近くの耳鼻咽喉科へ飛び込みます。
案の定レントゲンを見ながら医者が、

「左の副鼻腔がウミで塞がっていますね」

道理でしんどかったはずです。
炎症を抑える薬を飲み始めると、ようやく症状が和らぎ始め、日曜日の朝には大分楽になっていました。

母と「明日来る」と約束したことが引っかかっていましたが、諸々諸事がたまっており、日曜日しかできないこともあり・・・
少々不安でしたが、発疹が引いてきていたことを思い出し、土日の病院行きを休ませてもらいました。

母親と京都の釘抜き地蔵さんへ「おかん、もう体の釘抜こう思わんと、これからは楽に楽しく過ごしてください」

母親と京都の釘抜き地蔵さんへ「おかん、もう体の釘抜こう思わんと、これからは楽に楽しく過ごしてください」



月曜日、娘のフィアンセさんを囲んで家族で昼食を摂っているとき、病院から知らせが入ります。

「容態が急変したのですぐに来てください」

いずれにせよ今日は午後、母を見に行く予定でしたので、急ぎ嫁と病院に向かいました。

重苦しい不安を感じながら、個室へ移転された母の病室に入ると・・・
口から胃まで通された管、体中に点滴針が何本も刺さった状態。
ベット脇には血圧と心拍数を示す機械が据え付けられています。

母への医療が、病状に合わせて激変しているのを見て、愕然としました。
既に母の延命治療が始まっていることを知りました。

話かけても反応することはありませんでした。
今日が山場だと主治医に聞かされる。

「一体、何があったんでしょう?」

担当医は母の発疹が劇症で重く、今回の事態を招いていると説明します。
ただ、母の手を握ってやることしかできませんでした。

血圧がどんどん下がり、それに反して脈拍数が異常な上がり方を示している。
首の皮一枚で命がつながっている状態であることを、機械の数値が示していました。

そして、一晩超した明け方の7時13分。
うつらうつらとしている時、突如心拍数が0になり、けたたましいアラーム音が鳴り響きました。
担当医に促され外へ。

廊下の長椅子に座り、晴天の朝日が眩しい外の景色を眺めていると、母が痴呆に入る前の元気な時のやりとりが浮かんできました。

ずっとお金に苦労をした人生。
貧乏と背中合わせの生活と戦うために、早朝のビル清掃と病院のヘルパーの仕事を無理して掛け持ちをしていた母。
その状態で病気の両親を自宅に引き取り最後まで介護し、私を大学まで行かせてくれた母。

戦死したお兄さんに会うため、靖国神社にずっと行きたがっていました。

「新幹線で東京まで行き、靖国参拝してから帰りは静岡で一泊して富士山見よな」

痴呆が進む母との国際電話で、最後に必ず励ます時はこの話をしていました。
今になるまで富士山見物はおろか新幹線にも飛行機にも乗ったことのない母でした。

苦労続きの人生を経て、足の手術とその後のリハビリを受ける予定で来たこの病院で、思いがけない延命治療を受けるハメになった母が最後に、

「つねお、おかあちゃんもうしんどいわ。おとうちゃんのとこに行くわな・・・」

そう話掛けられている気がしました。
自ら心拍を止め、憂き世に決別する母の意志を感じました。

母と京都の釘抜き地蔵さんへ

母と京都の釘抜き地蔵さんへ



年老いた親を残し、長い海外赴任生活に入る。
その瞬間から日本に残された両親との別れの準備が始まります。

私は同年代かそれ以上の方にお会いするとき、

「ご両親はご健在ですか」

と思わず聞いてしまいます。
ご兄弟が側についているケースが多いですね。
皆さんしっかりと手を打って来られています。

私のように、嫁さん一人に任せて海外赴任など・・・
母の死に至った病名は「スティーブンス・ジョンソン症候群」ですが、本当の原因は、「息子の無配慮」。

普通に自分の子供と語らい合いたかったはずです。
しかし私はベトナム、姉はアメリカ。
母の側には、父と時々私の嫁が。
その父も昨年亡くなり、一人の寂しさに耐えられず、病に負けてしまいました。

異国への進出は、それなりの力を持った方に白羽の矢が立ちます。
ある程度年配の方にならざるを得ません。
住み慣れない国で、親を気にしながらの生活が始まります。

離れていても出来ること。
パソコンに全く不慣れな年寄り相手ですので、それはマメな電話しかありません。

マダムHuyenさんは、私の通話料を見て恐らく腰を抜かすほど驚いていたと思います。
しかし、何ら言及せず、やりたいようにさせてくれていました。

後悔を少なくする為の、親への働きかけに知恵を絞ってあげてください。

おかん、これからずっと一緒やな

おかん、これからずっと一緒やな


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田口 庸生

田口 庸生 の紹介

初めまして、「ハノイリビング」営業担当の田口(たぐち)です。 日本より初めてベトナムのハノイに着任された日本の皆様、 愛するご家族を日本に残し、初めての「海外単身赴任」をこれから経験される皆様、 快適なハノイでの生活を満喫していただくために、皆様の「お住まい探し」から「入居後のサポート」まで一貫した「窓口対応」を請け負います。 「ベストマッチ」を合い言葉に・・・ どうぞお気軽にお問い合わせください。 お待ちしております。
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